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ストレリチア

Bird of Paradise Flower

ショウガ目・バショウ科・ゴクラクチョウ属
英国のキングジョージ三世のお妃の生家の女王名「ストレリッチア」によります。

和名「ごくらくちょうか」は、その花形が極楽鳥に似ているところから。
この花は周年咲きなのですが、夏場の暑い時期には休眠します。
のころ11月には1年中で一番たくさんの花を咲かせます。
 南アフリカの喜望峰原産のころの花は、かつて切花として輸入していましたが、
現在はほとんど国産で作っており、特に清水区市内(当時は清水市)は全国でも有数の産地です。
苞から極彩色のくちばし状の花が、非常にユニークな形で咲きます。
この美しさと、花が一ヶ月位に亘ってさきますので、その魅力に誘われて、
この花のファンは大勢いらっしゃいます。市内では一寸した防寒で越冬しますので、
家庭でお作りの方も多いようです。
この種には大体三種ありますが、一つは前述の橙黄色(だいだい色)の花、
もう一つは一般にはあまり目につきませんが白色。
こちらは老木になりますと高さ数メートルにもなりますので、
沖縄等では路地で作られますが、本州ではあまり見当たりません。
多年生常緑のこの種は、バナナの仲間ですが、形態的にもっともバナナに近い種に
「オオギバショウ」があります。このストレリチアの数倍大きい花が咲きます。
この「オオギバショウ」は、大変たくさんの水分を含んでいますので、
砂漠を旅する人が、水に困るとこの葉梢にたまった水で渇きをしのぐのだそうです。
このストレリチアの同属のオオギバショウを「旅人の木」ともいいます。
最近、花屋さんが仏前用の供花にこの花を用いますが、
決して仏前用に決められた花ではないので
「ユニークな美しい花」として広く愛してあげたい花です。
1986.11.17

アンスリウム

ハワイ原産でハワイ特有の花と思われているこの花、最近品種も豊富なり、日本国産品が花屋の店先を賑わしています。 鉢植商品も見事なものがあり、この時期、なかなかの見応えです。

周年で咲きますが、年中咲かせるには20度くらいが必要ですが、12度くらいまでなら耐えます。 熱帯アメリカ原産で、美花種と美葉種があります。 別に花の美しい「おべにうちわ」は南米コロンビア原産。

今日この頃大型アンスリウムといわれて私たちの目にとまるものは殆どこの種です。 この種は葉も美しく観賞価値があります。アンスリウムの花といわれているのは仏焔苞(ぶつえんほう)であって、 ほんとうの花は棍棒状(こんぼうじょう)をした肉穂花序(にくすいかじょ)です。

アンスリウムは、アンソス(花)とオウラ(尾)の2語からなりこの花の形から付けられたものです。 和名をベニウチワといいますが、余り使われません。 最近は各色の品種がありまして、いけ花をはじめとして、フラワーアレンジ等にも使われます。
 

原産域の中南米では役550種の原種が数えられます。この花にまつわる物語を探しましたけれど、 これというストーリーもなく、花の美しさだけが今ここにあります。 わが国への渡来は明治中期ですが、太平洋戦争の折に、米国産という事で絶種したことがありまして、 この花の不幸の時期がありました。戦後、この花の美しさは、いけ花会のスターとなり、沖縄で作られ、 今日この頃のブームになってまいりました。「ベニウチワ」の素晴らしい日本名もあります。

身近な花としてこの花とおつきあいしてみましょう。

 

月々の花 著者 中村金次郎

花を愛し、花と共に生き、そして花と共にその生涯を閉じた中村金次郎。幼年のあの日、コスモスは彼に何を語りかけたのだろう。以来、花一筋。そしてここに上梓された二十数年にわたる彼の花への想いは、世代を超えて、読み継がれ、語り継がれていくことであろう。

11月の花 さざんか

さざんか(山茶花・茶梅・ヒメカタシ)
英名 Sasangya Tea
花ことば 白花=理想の恋 赤花=謙虚
この樹は日本特産の花木です。落葉期の頃、迫りくる寒さに追いたてられて咲き急ぐ花の風情は、マコト日本の四季に欠かせない詩情だと思いませんか。 
 この種の野生型は一種の白花ですが、今日栽培されている園芸品種は、紅花、桃色花、緋色、濃紅色、ぼかしの紅花、花径も、より大輪で広弁のもの、また花弁数の多い重弁のものなど、改良されて非常に多品種化されています。


(アウトソーシングスタジアム日本平近くのさざんか)
 原生地は四国、九州の暖地であり、九州佐賀県神崎郡背振山一帯がさざんかの自生北限地帯とされていましたが、近年、山口県萩市郊外でも自生樹が見つかりここが北限らしいと考えられています。江戸から明治にかけて、盛んに関西、関東と品種の改良、交流が行われたといわれますが(「江戸遊覧花暦」一八三七年)実際には京都、東海、関東までの旧家、寺院等には樹齢三百年、四百年と思われるような、古木が存在していてこれが原生種では見られない紅花や、しばり花であるのは非常に興味深いとされています。多分、さざんかの初期の興味は品種の改良ではなく、花色のかわりものの発見で、この種のもの、栽植移動から始まったものだろうといわれる所以でしょう。
 今日広く栽培されている品種に、富士の峰、昭和の栄、乙女さざんか、獅子頭など重弁の華やかな一群がありますが、これはさざんかの仲間でも特に、寒つばき郡と小分類され、今から五十年位以前、一九三〇年代関西方面で生産販売され始めたものです。
 日本古来のさざんかながら、今日、なお珍品種発見されていますし、最近になって、長崎県壱岐郡で自生林が発見されたり、あまりに私どもの身近な花木なのに、さざんかのロマンには、まだナゾの部分があるようです。

10月の花 モクセイ

モクセイ(木犀・桂花)
分類モクセイ目・モクセイ科・モクセイ属
花ことば 謙虚
町中どこからろもなく流れる芳香、モクセイの咲く季節になりました。この木は中国原産。古くから庭園樹木として広く栽培、鑑賞されています。幹が淡灰色で紋理が入り、この紋理が動物の犀(さい)の皮に似ているところから名づけられたといわれています。
 ギンモクセイ(銀木犀) 花の色は白色。雌雄異株ですが、日本では雄株ばかりで結実しないといわれます。別名巌桂、旧暦八月を桂月といいますが、10月の花。漢名、銀桂。

注射新.jpgアップ木犀.jpg


 キンモクセイ(金木犀) 花の色はオレンジ色。この気も雌雄異株で日本では雄株のみで、がく四裂、雄しべ2、雌しべ1の花が咲きますが、子房が退化してしまって、結実はしない。花の色を金に例えた和名。漢名、丹桂。
 ウスギンモクセイ 花色はわずかに黄色の入った白色で、これははなが終わると、楕円形の核果が紫、黒色に熟します。この樹がモクセイの原種でギンモクセイもキンモクセイもこのウスギンモクセイの変種だという説が多いようです。
 大気の汚染に弱く、最近都会地では開花しないことが多くなっているようです。もし大気汚染が原因で花が咲かなくなった時は、枝葉に十分灌水して洗ってあげるとよいでしょう。挿し木で繁殖できます。
 「木犀やはかなりける初恋の人とあひ見し袖垣おもう」 木下利玄
花は9月~10月。花の寿命は比較的短く7日~10日間。

9月の花 ススキ

かつて日本の家屋はすすきの茎葉で屋根を葺いてたものですが、今日では、消防法とか、共同のススキを刈る「茅場(かやば)」の保存が、開発によって困難になり消滅してしまいました。大変に生命力旺盛な植物で、一寸土地があれば、ただちに繁茂して群生します。
中秋の名月には、ススキに他の秋草を供えるなど、生活にかなり密着した風習が残っています。又、すすきは日本の秋を象徴する花として絵画、詩歌のモチーフとしても扱われています。
「吾妹子に相坂山のはだすすき穂には咲き出ず恋ひわたるかも」万葉集(二二八三)
「秋萩の花野のすすき穂には出でずわが恋渡る隠(こも)り妻はも」万葉集(二二八五)
など三二首を数えられます。絵画のジャンルでは大和絵とその流れをくむ琳派の画家がとくに好んで取り上げています。、又、いけ花の素材としても非常に良く使われています。

 水揚げは良くないですが、日本の暮らしの中に育った文化としては、すすきの風情が限りない情緒をかもしてくれるからでしょう。すすきは尾花ともいわれますが、穂の様子が獣の尾に似ているところから名づけられた名でしょうが、とくに狐の尾に似ているとして「幽霊の正体みたり枯尾花」など古諺もあります。
「秋の野に咲きたる花をおよび祈りかき数ふれば七草の花萩が花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝貌の花」万葉集 山上億良
ススキとは、すくすく立ちたる木「草」、または神楽もちいる鳴物用の木(すずの木)また荒地に繁る荒々木、語源には諸説あるようです。漢名は「芒」ですが、「薄」の字を用います。「倭名抄」(九三四年源順)には「草の聚り生ずるを薄と云う」とあって元来「薄」は特定の植物を指す字ではないと解説されています。すすきは「芒」が正しいことになります。
この頃、外国産の「ススキ」を花屋の店頭やいけばなの中に見られますが、あれはパンパスグラスといいます。日本の秋とは一寸イメージが一致しませんね。普通のすすきよりも一段と背が高く一回り大きい穂の色がギラギラ銀色に輝く穂のすすきがあります。こちらは「オギ」比較的水の近くを好みます。銀すすきともいわれます。今年の十五夜は九月二五日(1998年)すすきをしみじみと見つめて見ましょう。2012年の中秋の名月は9月30日(日)

7月の花 ゆり

ゆりはもともと山百合の代名詞でしたが、今ではゆりの仲間全部に共通しています。静岡県では、初夏にさきがけて笹百合、一足遅く山百合。盛夏、笹百合は静岡県以西の山野に自生しますが、わが国古来のもので、ゆり古名「さい」について、「神武天皇、狭井川のほとりなる伊須気余理比売命(イスキヨリヒメノミコト)の家に行幸の折、その河を佐韋というわけは、その川のほとりに山由理草多くありその山由理草の名をとって佐韋河と名づく。小由名の【元の名】を佐韋という」とあります。この佐韋は今の山百合でなく、笹百合であったといわれ、今でも、百合まつりとして笹百合を供え神事を行う事が奈良県率川神社に伝わっています。これを三枝祭といいます。

 このように百合は古くから日本の花ですが、百合は三枚のがく片と、三枚の花弁から出来ています。開花期にはこの区別がわかりにくくなりますが、外側のやや細い花びらが「がく」にあたる三枚。内側のやや幅の広い花びらが花弁にあたる三枚。

ゆりの品種は最近に特に改良園芸種が多く、数百種にも及びますが、花形により大きく次のような系統にわけられます。テッポウユリ系(ラッパ形)、ヤマユリ系(ろうと形)、スカシユリ百合系(茶碗形・花星形)、カノコユリ系(花弁反転・花球形)。ゆりの名前を並べますと、ヒメ、ヤマ、ササ、オトメ、長太郎、タカサゴ、タケシマ、ハカタ、サク、エゾスカシ、スカシ、イワ、イワト、カノコ、クルマ、タキ、イトハ、オニ、コオニ、インド・・・。純白、清楚で花ことばも純潔という。テッポウユリに「鉄砲」の名を冠するのはちょっと酷ですが、これはむかしラッパ銃というのがあって、その形がこのゆりに似ているため「ラッパ銃百合」というところ、銃(鉄砲)だけを百合のなにしたためたといわれます。(与論島にて)
自生地は九州南部、南西諸島。ゆり属の分布は北半球の亜熱帯から亜寒帯まで。
1984.7

3月の花 レンギョウ

3月から4月、この頃市内の公園や庭先などで、ひときわ美しい黄色の花の集団を見かけますね。 英名で一名をゴールデンベルといわれるレンギョウです。早春に咲く花木はこのレンギョウをはじめ、トサミズキ、イヨミズキ、マンサク、サンシュユ、など何故か黄色い花が多いようですが、市内で目につくのは殆どこのレンギョウの仲間です。中国中部の原産といわれますが、インド北部、ヒマラヤ山ろく辺りでも、海抜2000メートル位で見かけます。レンギョウ属は、ヨーロッパからアメリカにかけて約9種類があるといわれています。代表種が中国原産のレンギョウだとされており日本には、江戸初期(1681~1683年)に渡来したもので、貝原益軒の「花譜」(1694)にも記載が見られます。 中国産のレンギョウには、別にシナレンギョウといわれるものもあり、枝が下垂ぎみで花が深黄色です。このレンギョウに似た種類にチョウセンレンギョウがありますが、こちらは花が大形で樹勢が旺盛なので庭園樹として好まれ、市中で目につくのはこの種類です。洋種にアーノルド・ドワーフ・パナリスク・ファランド等がありますが、あまり普及していないようです。日本本来のヤマトレンギョウがありますが、岡山県の自生地でも絶滅に近く、私たちの目にとまる事」が少なくなりました。栽培にはてもかからず病虫害にも強く、夏は緑が美しく、挿し木で大変よく発根しますので、鉢植、庭園樹にどうぞ。

2月の花 フリージア

フリージア(アサギスイセン・アヤメズセン・コウゼツラン)
英名 Freesia
分類 ユリ目・アヤメ科・フリージア属
花ことば 純潔・無邪気・清らか

春を告げる甘い香りと優雅な花姿でおなじみの花。半耐寒性の秋植え球根草花。イギリスの植物学者フリーズに因む。
19世紀のドイツの医学者の名前であるとも云われるが、定かでない。
1700年代後半に南アフリカ喜望峰で発見され、三種類くらいの原種が挙げられていますが、その後ドイツ、オランダ、イギリスで改良が加えられ、現在見るような色彩豊かな品種が作出されました。
本来大変香り豊かな花のなのですが、あまり急速な品種改良を行ったために、残念ながら、芳香が淡くなったものが多くなりました。
香りを楽しむなら、白系が期待に応えてくれるでしょう(*1) 最近では、切花として10月ごろから花屋の店頭に現れますが、促成栽培による8月~9月に、低温処理した球根を暑いうちは高冷地で、9月以降は暖地で、加温栽培によって、かなり自由な時期に切花出荷できるようになっています。
高温多湿を嫌いますが、南の島々ですが、花の終わった球根が早く休眠しますので、その理を利用して八丈島で盛んに生産されていますが、近年は南西諸島の沖永良部島が目立った生産をしています。
清水市内でも生産されていますが、白系バレリーやホワイトマリー、黄系はラインベルト、ロイヤルゴールド、エルドラード、ピンク系は桃園、ローズマリー、ロマニー等大変カラフルです。一足早い春の便りをフリージアに託して、お部屋に飾るのも一興ではありませんか

アサギスイセン(浅黄水仙)、アヤメ水仙、(アヤメと水仙の両種に似通うから)、コウセツラン(香雪蘭)花に芳香があるによります。
この記事は 1986年2月時点での筆者の調査によります。産地や品種、その特製には現在との差異があることをご了承ください。
この記事のコメントは受け付けていません。

1月の花 菜の花

なのはな(なの花・ハナナ)
分類 けし目・あぶらな科・あぶらな属

花の中でこれほど親しみや深く、身近な花はないですね。春を待つ心、そこに春が来た。日本の春を物語ってくれる花。このなのはな、お正月用いけ花にもかかせない存在です。この花が、野辺に咲く美しさをとらえて、「梅の花」とあしらったり、又水仙と取り合わせをして、春の野の情景を表現したりします。
 高価な花ではありませんが、この花でなければならない効果が得られます。もともとは中国原産と思われます。食用として、かなり古い時代に渡来して、観賞用としては、日本で作出されたものです。
 ハナナはハクサイ類、カブ類などハクサイ系の観賞用種ですが、昔から「なの花」と呼ばれるものは、多くは油を取るために作られるアブラナなどの花の事で、これは切花としては利用されません。
 園芸上栽培され、私たちの目にふれるものは、特に早咲きで、葉のしまった特質をとらえたものが作られています。大別して、チリメン系と、丸葉系ですが、前者は早生種が、後者には晩生種が多いです。お正月用に使われるものはそのほとんどがチリメン系で千葉県房総半島産です。潮騒の聞こえる菜の花畑を思い浮かべながら、この花を活けるのも新春の一日にふさわしいと思います。
 いけ花ではこのように日本的ですが、外国人には、あまり理解していただけない花で、むしろ下品として毛嫌いされている花です。ですから、その点は心得ておくとよいでしょう。洋種の花にこの花をあしらっても、あまり美的表現に成功しないのも、この辺りの感覚的誤差の表れだと思います。
 失われて行く自然の中で、残された数少ない自然の花です。じっと見直してみませんか。
第61号1986年1月

12月の花 ポインセチア

ポインセチア(ショウジョウボク〔猩々木〕・クリスマスフラワー)
分類フウロソウ目・トウダイグサ科・ユーフォルビア属
花ことば 私の心は燃えています・祝福します


師走ともなると、ジングルベルの曲にに乗ってクリスマス気分が高まってきます。この頃花屋の店頭はポインセチアの花で飾られますが、ポインセチアの花で飾られますが、この花がクリスマスシーズンの代表花として知られ、近年、一般にクリスマスフラワーと呼ばれるようになりました。しかし、この植物はクリスマスとは、まったく関係のないものですが、神聖なるクリスマスに用いられるようになったのは、この時期他の花が非常に少ないのに、自然光の中であたかもキリストの誕生をお祝いするように晴れやかな美しさを誇張して花開く、又赤い色は魔よけの神力があると信じている西欧の人々には、この花がクリスマスの献花には最良のものと考えられたようです。
こんな考えが原因で、北欧ノルウェーなどで、北緯38度位での地域でも越冬できる品種が発表され(アンネット・ヘグ・シュプリーム種)、益々北国の愛好家が増えているといわれます。
ポインセチアはフランスの旅行家M・ポインセット氏の名によるとも、またアメリカの外交家ジョエル・ロバート・ポインセット氏(後のアメリカ陸軍長官)を記念するとも言われますが、どうも後者の説の方が現実だとされます。彼がメキシコ大使として赴任していた1825年にこの植物を発見しました。富裕の医師の家庭に生まれた彼は、これをアメリカの人々に紹介し、彼自身も南カロライナの生家で園芸化を試みたといわれいます。一方でこれがフランスのポインセット氏によってヨーロッパに紹介され急速に普及していったものです。短日性植物で、日が短くなると開花する性質のこの花は、緯度の高い北欧では、早くから色づきますのでノルウェーの花市場では秋の早い頃から花屋にならんでいます。
この花、赤く色づいた部分は、花でなくて花の一部で、苞の変化したもので真の花はその上方に小さく咲きます。あずき大のもので可憐です。
我が国への渡来は明治19年(1886年)とされています。最近では、苞葉の色が白やピンクなど、カラフルなものも出回っています。挿し木で容易に活着します。ポインセチアとのおつきあい、始めてみませんか。

11月の花 つわぶき

ツワブキ(石蕗・通和・豆和・つやぶき・つわ)
英名 Farfugium Japonicum
分類 キキョウ目・キク科・ツワブキ属
光沢のある常緑の観葉植物として、昔から庭園の樹陰の下草や音締めとして好んで植えられてきました。和名ツワブキは、その葉に光沢があり、付記の葉に似ているところから付けられたといわれ、「艶葉蕗」(ツヤハブキ)が、ツワブキに訛ったといわれます。
原産は我が国本州中部(石川県、福島県以西)から沖縄、台湾、朝鮮、中国の海辺の岩石や砂地に自生しています。初冬の頃、他の花の少ない時、黄色の頭状花を長期間咲かせ続けます。野生種の他に、斑入り葉や、波状葉、キンモンツワブキ(黄色の斑点)などの園芸品種が観賞価値の高いものとして作出されています。本来丈夫で半日陰でよく育つので市内でもよくみかけ、愛好者も多いようです。
若い葉柄は、食用とされ、特に静岡県伊豆地方では、キャラブキの名で特産品とされています。また、その葉は薬用としても重用され、火であぶったり、もんだり、熱湯にしたして腫れ物や湿疹などの調薬にされます。沖縄あたりでは、魚の中毒に葉茎を煎じたものや、とくに葉の絞り汁を飲むとよいとされ現在も実用されています。(沖縄県国頭郡)
これらはこの植物にセネシオ酸が含まれているからです。花の美しさに誘われて、切花に使いたくなりますが、葉、花ともに水揚げが悪いので残念です。しかし、茎の表面に、上から下へ何本も細い筋目を入れて、水に浸しておいて、よく水の上がったところで挿すと案外長持ちします。
漢名、タクゴ(口吾)。キク科タカラコウ属とする説(牧野図鑑)もあります。
「咲くべくも、おもはであるを、石蕗の花」蕪村

10月の花 ムラサキシキブ 紫式部

ムラサキシキブ Ⅰ
(紫式部・みむらさき・むらさきもどき)
英名 Callcarpa Japonica Thunb
花ことば 聡明

淡い紫色の小さな花が集まって咲く姿には、素朴な味わいがあり、まるい紫色の花が群がってつく様は、優美さを感じさせられます。
 我が国の原産で北海道南部から本州、四国、九州に分布しています。さして、深山に入ることもなく、山地や原野に生息してます。その実のみやびさから、源氏物語の作者、紫式部に由来して名前を美化していますが「実紫」ともいいます。また「しきぶ」とは、重なりあってつく実の様をいい、古語の「しきみ」から転化したものだといわれます。「紫のみが重なり合う」「紫しきぶ」この植物には本当にぴったり。古人は、植物の個性をじっくり見つめ思い、豊かな呼び名をつけたものだと感服しませんか?
 漢名では「鼠李」(そり)といいます。「和漢三才図会」(わかんさんさいずえ)に、「鼠李、俗に紫式部と云う。高さ五、六尺、葉は桧葉ににてほぼ団薄、枝柔垂、四月に小花が開き、葉間毎花有。浅紫色。紫色の実結ぶ。秋に落葉して後、その子(タネ)穂の如し、遠くよりこれを視れば、萩の花に似たり」。また別に「人その嫩者を採って汁を取り、色糸を刷染皮は大中の口中の疳瘡を治。万に一を失わず」 とあります。染料や薬草として使われていたことが窺われます。今日では庭植やいけ花用切花に使われ、とくに秋の風情の演出にはかかせない素材です。
 品種に、花と実が白いシロシキブ、果実が小さいコミノムラサキシキブ、葉の小型のコバノムラサキシキブ、葉の細いホソバムラサキシキブ等があります。沖縄で見かけましたが、オオバシマムラサキシキブは、葉、花序、果実とも、とても大型です。学名の「カリカルパ」は美しい果実の意味です。繁殖は実生だととりまきがよく簡単に発芽します。秋のおとずれとともに、しみじみ鑑賞したい日本の植物ですね。 
1985/10/01

9月の花 はまゆう

はまゆう(浜木綿・はまおもと)
分類:ゆり目・ひがんばな科・はまおもと属
花ことば 汚れがない・温和な思い出

海岸に生え、葉が「おもと」に酷似しているので、はまおもと(浜万年青)の名もある。わが国の原産で、関東、静岡以西の太平洋岸に自生する多年生植物です。清水でも、愛好家の庭先などに大変よく植えられ、とくに三保地区では6月から10月ごろまで、その美しい白い花を見かけることが多いようです。この属名の由来については諸説あり「浜木綿」その白い葉柄が木綿の布地に似ている事から、またその花が、コウゾの繊維をさらした「木綿(ゆう)」に似ているから。前述「浜万年青」。この種は、ほかに花のないときにも、光沢のある幅広く厚い葉を四方に伸ばし立派で、観葉植物としても、価値があります。
たった一首だけ万葉集に柿本人麻呂によって
「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直にあはぬかも」
とあり、紀州の海辺に、におうように咲く、はまゆうの姿が印象的に歌われていますが、平安時代には、浜木綿の葉は、酒の肴を盛る器に用いられていたといわれます。それからして、この歌は旅先の酒宴の席で詠われたものとの説があります。またこの葉は、大臣の餐宴に鳥(きじ)の足をつかむのに用いられたようでもあります。「花譜」(貝原益軒・1694年)に「いにしへは大餐のとき鳥のあしつかむ料に伊勢の国みくまのの浜ゆうをめすと云う」とあります。この種が浜辺に多い事は、種子がやわらかくコルク状のものに包まれていて熟しても、水に浮くため海流によって各地の砂丘にたどりつくのも原因のひとつに数えられます。
花は夜開きますが夕闇の中に浮いた錨のような花の美しさはまた格別です。実生でもよく発芽します。鉢植えでも八号以上の大きなものを使うと作れます。でも花が咲くまで5年くらいかかります。ジックリと万葉植物と付き合うのもまた一興ではありませんか。園芸品種に斑入り種など数種あります。種として、小笠原はまおもと、たいわんはまおもと、インドはまおもと、以上は原産名そのもの。ながばはまおもとは、アフリカ喜望峰原産。インドはまゆうは、三保で庭植えされているところがあります。クリナムも仲間の花です。

8月の花 ヒャクニチソウ

ヒャクニチソウは、開花期(春~夏)と花の観賞期が長いというところによる。ジニアはドイツの医学者、ヨハン・G・ジイン教授の名による。メキシコ原産の1年生草木で、花壇、切花、栽培されています。中央メキシコに野生するヒャクニチソウは紅紫色の一重咲きの小さな花でしたが。1750年代にドイツに送られ、ヨーロッパに広まり、その後改良されて、花径10センチメートルほどの重弁の豊富な花色を持つものが出来たが、19世紀の後半にアメリカにわたり、更に飛躍的な品種改良がなされ、大輪ダリア咲、優美な花形バービナ、ジャイアンツ等が作られました。わが国では、昔から、仏花として、一般的に使用されていたのですが、おそまきながら、アメリカの後を追うように品種改良が始められダリア咲のゴールドサンという品種を作出し、オールアメリカ・セレクション(A・A・S)に入賞するほどになりました。(緑色がかった黄色)まちのあちことで容易に見かける今のひゃくにちそうはこのように改良されたものが殆どで第2次世界大戦直後の品種は全く見られなくなりました。 冬至の花は一重咲きで花の芯が盛り上がって山高帽子のような型になっているものもありました。この花がシャボナと云われる由縁です。この花の渡来は文久2年(1862年)ごろといわれていますが、もう一説ではそれ以前にアメリカから来たという説もあります。冬至、長久草、浦島草と呼ばれていたようです。日当たり、水はけの良い所を好む花。

7月の花 グラジオラス

花ことば 密会・堅固・用心
グラジオラスはラテン語でGladius(剣)からきた名前で、葉の形が剣状をしているためにつけらてたようです。また、別名としてオランダアヤメ、とうしょうぶ(唐菖蒲)というのは単に外国からきたという意味の表現に過ぎません。熱帯および南アフリカ、マダガスカル島、地中海沿岸地方を原産として二百数十種以上の種があるといわれています。現在栽植されているグラジオラスは、いずれも改良種でその数は数千種ともいわれています。
現在、日本ではグラジオラスは一年中切花として流通していますが、植え付けから開花までの日数が早生種から晩生種で6月から7月までが通常花期といわれますが、植え付けから開花まで七十日から百日という性質を利用、最近は栽培法が種々開発されて、年中この花を観賞できるようになりました。ローマ時代には地中海沿岸産のものが栽培され、これらはいずれも秋植え春咲きの小輪系のものが主だったようです。これに対しアフリカ大陸インド洋に面した地方に自生する夏に生育して冬に休眠するタイプの原種をいくつかの試みにして十九世紀以降今日の大輪系花型の夏咲き系の育種が進められえたといわれています。その結果、今日ではグラジオラスといえばほとんどこの夏咲きのものを指すようになります。桃、赤、紫、白、鮮やかな彩りは炎熱下の中で私たちの目を楽しませてくれます。此花が日本に入ってきたのは江戸末期だといわれます。現在では日本で改良種が続々作り出されその球根は欧米諸国に輸出されています。七月はお盆ですが、先祖の霊に捧げる花として、まったく日本の花達と何の不調和に感じなく使われています。もうすっかり日本の花ですね。
1983.3.7

6月の花 シャクヤク

シャクヤク(芍薬)英名 ペオニア ペオニー

分類 キンポウゲ目・ボタン科・ボタン属

花言葉 内気 はじらい はにかみ 羞恥心

別名ヨオグサ (貌佳草)、花のきれいなことによる、エビスグサ(夷草)、外国からきたことによる。又ボタンの花が「花の王」に対して、この花を、花の宰相(さいしょう)とよばれるには、ボタンに次ぐ華麗な花の意。中国北部の原産とされている。わが国への渡来の時期は不明ですが、かなり古い時代とされています。

英名はペオニアは本来薬草として、ヨーロッパへ渡ったシャクヤクが、ギリシャ神話の神々の医師ペオンにに因んで名づけられたようです。ペオンはゼウスの愛人、「レト」が、お産に苦しんでいるとき、この芍薬の根を使い陣痛を緩和し、無事、アルテミスとアポロンという双生児を誕生させましたがこれを妬んだ、彼の師の医神「アクレピオス」が彼を殺そうとします。これを憐んだ「レト」が、ゼウスに頼んで、ペオンをシャクヤクの姿に変えてあげました。以降、西洋ではシャクヤクをペオニアとよぶようになったとか。薬用としての成分はペオニフロリン・タンニンが主成分とされています。観賞用としてはヨーロッパへ渡り、とくにフランスで改良された洋種シャクヤク、わが国でも、江戸時代から明治にかけて品種の改良が行われ和シャクヤクとして数百種に及ぶ品種が発表されています。一重咲き、八重咲きとありますが、細かい分類は雄しべの色、形で大別されます。しかし、あまり専門的なことはとにかくこの時期庭園に、又切花として、立てばシャクヤク等と、美人に代名詞のように言われるこの花、爽やかであでやかでいかにも初夏の花です。1983年6月

4月の花 サクラ ポトマックのサクラは清水から

ポトマック湖畔の桜は興津から

桜がわが国特有の樹木で、わが国の気候風土に適し旺盛に生育し種類も多く、数百種類以上にもおよぶといわれる。山桜、彼岸桜、寒桜、染井吉野、八重桜、枝垂桜、大島桜等々、日本古来の樹木だけに、桜にまつわる物語はかぞえきれない程あるが、アメリカ、ワシントン、ポトマック河畔の桜の苗木が清水市産である事を一寸書きたいと思います。
明治四十年アメリカの陸軍長官タフト(後大統領)夫妻が来日したときタフト夫人が、日本の桜を欲しいというので、時の尾崎東京市長は苗木屋から桜苗木二千本を買い明治四十二年ワシントンに送った。ところがアメリカで植物検査をしたところ、病虫害がついているため全部焼き捨てられてしまった。これを知った東京市長は名誉挽回のためにと、農商務省農事試験場に、今度は病虫害のない苗木の育成方を依頼した。東京西ヶ原農事試験場ではこれを引き受け、同試験場興津園芸部に、その作成を命令し、明治四十三年春、品種の選定は桜の権威三好学博士に相談、其接穂は東京荒川堤より取る事とし、砧木はマザクラの挿し木で出来るが接着後の生育と、病害の点で問題があるという事で、兵庫県から山桜の実生苗を取り寄せて、使うことにした。このとき、東京市からの分はワシントン・ポトマック河畔の公園に植えることと内定しニューヨーク在留日本人会からそのついでに同様の苗の作成依頼があり、ハドソン河畔に植える予定という事で、合計六千本の苗木作りに取りかかった。品種の大部分は、満開が揃って美しい染井吉野とし、他に見本的に、八重桜、黄桜等十種程。明治四十三年十二月二十八日より三日間荒川堤にて接穂切り、翌四十四年二月興津にて、山桜実生苗を接木。これをを病虫害の心配のない地に植えて一年間充分に育成し十二月下旬、掘り取り、コンクリート作りの消毒室を作り青酸薫蒸の後、仮植して、翌年二月横浜植木会社の手に依り発送。熊谷八十三翁の日記より「二月七日に苗木荷造り六千本で八十六梱とし、七日貨車貸切で横浜まで。二月八日朝五時に汽車興津発、十一時横浜着、二月九日六千四十本の苗木五時間で箱十箱に見事美事に詰まる・・・苗は十本づつ束ねて、それを六~七束づつ一列にして・・水苔を根に固く当てる。」この荷物が三月下旬、ワシントンに到着、農務省の宙専門家が綿密な検査を受けたところ害虫も病害もついていなかつたと報告され、ポトマック河畔に植えられた。この時集め育成されて、残った苗太は興津試験場に植えられたが、戦時伐採されてしまって、今は只一本だけ残っている。明治、大正、昭和を生きて来た桜だけに「銘木」の風格。種類は「ウスヒカンザクラ」。一月頃から、咲いています。

3月の花 沈丁花(ジンチョウゲ)

(沈丁花‐ちょうしぐさ・りんちょう‐ちんちょうげ)
漢名 瑞香・紫丁香・蓬紫・睡香
花ことば光栄・永遠・不死・快楽を求める・無窮・濃艶な愛
昔、中国の江西盧山の比丘の山の下で、修行僧が、昼寝をしていると高い香りが漂って来て、その香りで目覚めた僧が、香りの出所を求めて得た花だといわれます。おめでたい花として瑞香の名が与
えられて、沈丁花の名もこの香りを名香である沈香(ちんこう)と、丁字(ちようじ)の香りにたとえられたといわれます。中国南部、台湾中部の原産ですが、印度北東部のダージリンでこの花の香りに出合った事を覚えています。花びらのない花で、花弁のように見えるのは、実は「がく」なのです。この
がくは、肉質の筒形で、先端が四裂して花びらに見えます。日本に渡来したのは室町時代、一四八八年頃で、その根を薬用とするためでした。日本には雄株が多いのですが、まれに雌株があり赤く丸い実を結びます。花色は白いシロバナジンチヨウゲ、花の内側が白で、外が淡紅色のウスイロジンチョウゲ、葉辺に白い斑があるフクリンジンチヨウゲがあります。
繁殖は挿し木が最も多く昨年枝を四月に、今年伸びた新枝を七、八月に赤土か砂土に挿すとよくつきます。紙の原料の「ミツマタ」と同じ仲間で、茎の皮の繊維は紙の原料にもなります。ふつう高さ一メートル内外と樹形のよさ、芳香、一年中緑色の葉が美しい等、庭園、公園向きの条件がそろっているのでこの向きに多く使われます。
第三七号 一九八四年三月
花キューピットタウン

2月の花 つばき

つはき(椿・山茶) 英 名Camellia
分 類 つばき目・つばき科・つばき属
花ことば 白色=完全な愛・申し分ない魅力 赤色=気どらない優美さ・天賦の富。
つぱきはわが国、およびアジアの東部から熱帯にかけて、自生している常緑生一灌木で、日本では青森県から、沖縄まで広い区域にわたって自生し、山地、海岸に近い丘などで群生する事が多い。花期は十一月~五月の長期で早生種と晩年種とで夫々花期が異なる。非常に良く結実し実生苗も容易に出来るので、その品種の豊富さは多種多彩で、その種五百種にものぼるといわれます。ふつう「やぶつぱき」または「山つばき」といわれる木にしても、一本一本の木に依って、夫々全部特性が異なります。
我々の先祖の椿への考え方は霊力を持つ木として、信仰の立場から接することが多かったといわれます。椿材を用いて武器(椎)や、鬼をはらう卯杖、卯槌などが作られた事などはその背景に呪術的思想があったといわれます。天武天皇(六七二年~六八五年〕に、吉野の宇閉直弓(ウエノアタイノユミ)が、白海石榴(白つばき)を貢ると「日本書記」(二十巻・七二O年威)に記されているといわれますが、当時白色は珍しかった事が、瑞兆として献上出されたのも前述の思想的なものがあったと思われます。江戸元禄年間に頂上に達した観賞用椿のブームの中で江戸椿、伊勢椿、肥後椿系と全国各地で特産椿が作出されましたが、その後奢侈禁止令の対象とされ椿ブ‐ムが下火になり椿の不遇の時代が続きますが、当時海外へ渡った椿が、海外で改良文され、第二次大戦後世界的椿ブームにのって今日の「椿」の愛好家の隆盛を見るようになりました。「あけぼの」「いわねしぼり」「かぐら」「おとめ」「からじし」等々・・・。つばきの名は「厚葉の木」「艶葉の木」から由来するといわれ、づばきの古名は、「海石榴」「都姿吉」「都姿伎」「都波岐」「津波幾」など当て字が使用されています。
第二十六号 一九八四年二月

担当者のつぶやき
「葉隠れに散りとどまれる花のみぞ忍びし人に逢ふ心地する」
山本常朝 葉隠れ。この歌の情景を考えたときにどうしても椿の花を連想してしまう。

1月の花 福寿草

花ことば 悲しき思い出・恋の記憶
わが国の原産で本州中部から北海道にかけた冷涼地に自生する。正月用の鉢植えとして人気が高く、江戸時代から人気の高い花です。十二月になると温床で暖めて促成しますが、普通に育てると、二月上旬には咲き旧暦の正月には楽に間に合うので、別名「元日草、朔日草、長寿草」などあります。
もともと寒地の野草で寒さに強く、庭で育てる時にも保護の必要のないところから「長寿」などといわれたのでしょう。自生地では雪溶けと同時に、開花する春一番の野草です。花はやや赤みのさした
輝くような黄金色のものをはじめ、黄白色、淡桃色、薄紅色等現在約五十品種程が保存されていますが、これらの園芸種は江戸後期文化、文政、天保〔一八〇四年-一八四三年)の頃、数奇者に依って作出されたものだそうです。「アドニス」とはギルシヤ神話に出て来る美少年の名前です。彼はサイプラス王シリアスの王子でしたが、ある日鋭い牙にかかり、朱にそまって、果てました。愛の女神ビはその死を哀れんで、この美少年の姿を、どんなに小さくても地上に形見を残そうと思い、永い祈りを捧げました。それがかなってその地に朱色の花をつけた、小さな美しい花が咲きました。「福寿草」でした。英名「アドニス=Amur Adonis」。
福寿草の根、茎、葉には、アドニンを含んでいるので強心剤として用いられています。
〔第二十号 1983年1月

門松について

三河の国賀茂郡には松平という地名がある。お気づきのように、徳川家康の在所なるところです。山の南斜面の日当たりの良いほうは、杉などが植えられるが、その裏面は松しか生息できない。その部分が「松平」という地名になったようです。このように徳川家康が開府した江戸と「松」の由縁たるはとても深いことが伺えます。したがってお正月ともなれば各大名の江戸屋敷には競って大きな門松が飾られ町人にも身分にふさわしい門松が飾られるようになり将軍家を松によって祝福したということです。
寛永の斎藤徳元 は 『春立つや にほんめでたき 門の松』 と詠んでいます。因みに斉藤徳元とは、「美濃のマムシ」と恐れられた斉藤道三の子孫です。参考 【古典の中の植物誌】 井口樹生 著

12月の花 すいせん

すいせん
英名 ナルシサス
分類 ゆり目・ヒガンバナ科・すいせん属
花ことば 尊敬・自尊・自誇

漢名「水仙」の音読みに由来する。ラッパ水仙と日本水仙とに大別できその品種の数は一九五四年に英国王立園芸協会へ登録されただけで一万一千余種あったそうです。毎年数百種の新種が追加されています。
ここでは、房州、伊豆、越前、淡路、佐賀等日本の暖地に自生している、いわゆる「にほんすいせん」に付いて、源平の頃、越前、居倉区の沖の遭難船から救い出された美女をめぐって、兄弟争いか生じ、これを、仲直りさせるには、我が身を引く以外にないとその娘は、海に投じました。ついでその弟も後を追って沈みました。翌春、居倉の浜に、今までに見たこともない美しい花が流れつきました。昨年身を投じた娘の化身がその霊を慰めるため、村人は、その花をこの浜に植えました。
今、越前の海岸には、水仙の大群生地がありますが、これが、その「興」だといわれます。すいせんの日本ヘの経路、又時期はあまりさだかではないようですが、この話は、すいせんが中国原産の植物であることからそれらしい物語だと思います。一重咲きを、漢名で「金盞銀台」といいますがこの花の姿のものです。「しろがねの台にこがねの盃の花はいはずと人やすいせん」 蜀山人
めでたい花として使用されますが、この花が高潔、可憐なのと寒中でもりりしく、春を待ち続けて咲く姿からでしよう。またその香りの品の良さも他の花と比しても群を抜いています。その容姿、香気の品の良さを形容して、
三清 たけ・うめ・すいせん
三君 うめ・すいせん・ちんちょうげ
四君 たけ・うめ・きく・すいせん
等と呼ばれます。又、雪中花といえぱすいせんの事です。八重咲は、玉玲瓏と呼ばれます。福井県の県花。
第20号 1982.12

11月の花 きく

きく(菊‐ヨワイグサ(齢草)‐ジュカク(寿客)等) 漢名 「草冠に鞠」
分 類 ききょう目・きく科・きく属
花ことば赤花=私はあなたを愛します。自花=真実。黄花=わずかな愛。

わが国に古くからある植物ですが、大別して二種に区別出来ると思います。
「野生ぎく」 わが国の山野、海辺、原野に自生している。小輪ぎくでその種数は、小はまぎく、のじぎく、はまぎく、いそぎく、りゅうのうぎく等、二十種位数えられる。この中で「のじぎく」は次の「家ぎく」の原種といわれています。
「家ぎく」 現在一般にきくといわれるのは、殆んど全部がこの家ぎくです。この種の大部分は、昔、中国から輸入されたもので、その後わが国の改良が重ねられて今日のような素晴しいものになったのです。渡来は奈良時代(七〇四年~七八二年)だと思われます。古代から奈良時代中期まで和歌集「万葉集」(四千五百首)の中には「きく」をうたった詩はないといわれますが、八一八年「文華秀麗集」には重陽節のきくの事が見え「懐風藻」(七五一年・奈良朝の漢詩百二十収)にも、菊酒の詩で重陽節が詠まれています。
その頃「きく」は不老長寿の霊花として、薬酒の花としての評価が高かったようです。陰陽学の数字は奇数は陽と数えられ、九はその極。旧暦九月九日は陽の極が重なるという事から最も吉き日とされ、重陽の節句とされ、この日に酒にきくの花を浮かべて飲み長命長寿を祈りたとされています。
また、九月八日の夜に、きくの花に綿をかぶせ、きくの露と香りをその綿に移し、翌朝とってその綿で、体をふくと長寿を保つといわれ、この行事も重陽の節の行事のひとつとされています。「綿きせて十ほど若し菊の花] 一茶
この行事も江戸時代には五節句の中でも最も重んじられたものですが、明治六年(一八七三年)公式儀式としては廃止になり、今日では忘れさられてしまいつつあります。いづれにせよ鑑賞用としても非常に美しい菊は、このような行事の中でいろいろと品穫改良され、小ぎく、中ぎく、大ぎくに、
春咲き、夏咲く、秋咲き、寒咲きとその種、数千種。今日では電照とかシェイドとかにして、あらゆる品種を好きな時に咲かせられるような技術も開発され、四季の花として私たちのくらし中に入ってきています。これ程身近な花になった菊の花も、古には貴族の霊花であったのですからごの花永い
歴史を考えさせられます。
第十九号一九八二年十一月

10月の花 はげいとう

花ことば 不老不変・ぜいたく・不滅の愛
この花は、けいとうに似ていますが、こちらは、葉が美しいので、葉げいとうの名があります。別名がんらいこうは、わが国へ雁が渡って来る頃に葉に紅色の美しさを増すところから名づけられた別名です。従って「雁来紅」と書くのは漢名ではなく当て字です。古名「かまつか」(鎌柄)は葉の形が「かま」の柄に似ているところから。「もみじぐさ」は葉が紅に変色し紅葉する草ということです。英名を「ガ
ンジスーアマランス」といい、学名を「アマランスートリコロール」といいますが、英名のガンジスは「ガンジス河の」と原産地を指しているように熱帯アジアで、原産地では、多年生草木でカルカッタの街中ではよく見かけました。非耐寒性なのでわが国では春まき一年草です。ヤナギバゲイトウ(葉は細く、下部の葉は暗赤色、上部は鮮紅)をはじめ、ニシキゲイトウ、スプレンダ、トリカラ、ドワーフフオンテン、等があります。色は赤、黄、橙等。
秋の深まりと共に美しさを増す観葉植物です。学名「トリコロール」は「三色の」と花色の意でこの花のカラフルさを表しています。花は葉や茎の先端に、小形の花を球状に密性しますが、花の鑑賞価値はありません。わが国への渡来は、さだかではありませんが、かなり古い時代のようです。枕草子(平安時代・清少納言著・正暦四年-長保二年)に「かまつか」の名で「かまつかの花らうたげなり名もうたてあなる雁の来る花とぞ文字には書きたる」とあります。十六〇〇年頃の画家俵屋宗達の草花図にもこの花は見られます。(関ヶ原の戦の頃)いけ花にするには、余り水揚げは良い方ではありませんが、切り口に酢をつけて挿しますと効果はあります
(第十八号 一九八一年十月)

9月の花 けいとう

花ことば 色あせぬ恋‐幼児よりの友誼・虚飾

この花は、秋を代表する花のひとつとされ、各地で栽培されていますが、近年の品種改良が進み、初夏からでもけいとうの花
を見られるようになりました。熱帯アジア(インド)原産といわれますが、不詳。日本へは中国を経て渡来したといわれますがその時期はかなり古く万葉集の中に、古名「からあい」を詠んで
「秋さらば移しもせむとわれ蒔きし韓藍(からあい)の花を誰か採みけむ」
とあうて、一三〇〇年代にすでにわが国で作られていたことになります。江戸時代になると、かなり園芸種としても作られたようで、当時の画家尾形光琳(一六五六年~一七一六年)の草花図屏風の中のけいとうは、かなり現代種に近づいています。江戸時代「大和本草」に「鶏頭花」(けいとうげ)また、「本草図譜」には「鶏冠」(とさかけいとう)「さくわりけいとう」「やりけいとう」「にしきけいとう」「ちゃぼけいとう」などとあり、この花の種類の多さを知ることができますが、けいとうは鶏頭で、おんどりの「とさか」の形ににた花冠の色、形から名づけられた名前でしょう。切り花によく使われる久留米系のけいとうは、終戦直前に九州八女市の人に依つて、インドから持ち帰り、久留米市にて栽培された事で久留米けいとうと呼ばれていますが、この品種の出現によって、従来のとさか系の切花種は姿を消してしまいました。現在ではこの2種のほかにプリモーサ系花冠は柔らかい羽毛が集まったようで形は花種状、トサカにならない。チャイルヂー系、玉咲き。玉ケイトウ。夫々矮生0種等あってその種類の実態は知り尽くせないほどです。育成には高温を好み多湿に耐え綿国の夏の気候に良く育ちます。
一見花のように見える花冠は茎の変化したのものでその下に小さい花がかくれるように開花します。黒光りする小粒の種子がこぼれる頃になると、その部分がはっきりわかります。色もとりどり赤、白、黄、ピンク、等 活け花花材としても季節の中で一度は活けてみたくなる花です。
 かつて、インドのシッキム州の州都ガントクの州立植物園の周辺で、半ば野生化したけいとうの群生を見たときには「ここが原生地かな」というような感を抱いたのを忘れません。やはり熱帯の花なのだと思います。
1982.09.01

8月の花 ヒマワリ

ヒマワリがわが国へ渡来したのは、寛永年間(1661~1672)のころだと言われています。「秘伝花鏡」に、ヒマワリを説明し、「6月に花開く。毎幹のころにただ一花・・・。太陽に従いて廻転す。即ち日が東に昇れば花東に向かう。日天に中すれば、花は直ちに上に向かう。日西に沈めば、花西に向かう。」と書かれており、花が太陽に合わせて廻るという俗説の元になったのだと思われますが、実際には、茎が丈夫で下を向かないだけで、太陽に向いて咲くとは限らない。北米、ミネソタ、テキサスあたりが原産で多肥を要する性質の強い1年草です。日の神、アポロを慕った、極洋神「オーケアノス」の精女「クリュティエー」は水底に帰るのを忘れて、9月9日夜アポロンの進むのを見つめていましたが、立ち通しでいたために、ついに一茎のヒマワリになったという説と、水の精クリュティエーがアポロンを慕いあって数年一緒に暮らしたが、ある時、キューピットが放った、たわむれの矢がアポロにあたり、アポロは他の人を慕うようになり、クリュティエーは悲しみ数日座ってアポロの姿ばかり見ているうちにとうとうヒマワリになってしまいました。いずれにしてもこの花が、太陽を見送って慕っている姿からの連想でしょう。花期は8月から9月、園芸品種が沢山出てきていて切花にも盛んに使われる。あまり水揚げがよくないので切花にするときは葉はなるべく多くとって短く扱うと大きな花でも倒れたりしないでしょう。花後、結実したものをドライにしておくといけ花にも、部屋かざり等にも素敵な素材になります。ロシアではヒマワリをたくさん栽培して種子は食用。摂油用に使われ重要な食用油になっています。茎は製紙や燃料となり葉は飼料としています。一重咲、八重咲などがあります。この花は南米ペルーとロシアの国花です。


第16号1982.8

ヒマワリの花束

7月の花 わすれぐさ ~かんぞう~

分類ユリ学名ヘメロカリス ユリ科 ワスレグサ属
この仲間は大変種類が多く、日本、朝鮮、中国等に三十種位分布しているといわれ、自生地によるわずかな違いや、自然の雑種と思われるものがあって種類の分類は難しい。古くから栽培されていて、十六世紀頃ヨーロッパへ入り、改良され、二十世紀になつて米国に渡り改良がさかんに行われ最近では、数千種に登る種類が作られているといわれます。県内でもこの仲間の自生地は沢山あって、このヤブカンゾウは市内でも川の土手などで容易に目にする事が出来ます。この花は八重咲きですが一重咲きの「ノカンゾウ」、一寸大型のハマカンゾウン、と共に花は朝開いて夕にしぼむ一日花。一方キスネといわれる仲間は夕方開花して翌日の午前中にしぼむのでユウスゲという別名がある。朝露高原あたりで群生が見られます’が、夕もやの中に咲く様はマコト美しく、一見をおすすめしたい。日本で古くから庭などに植えられている丈の低いヒメカンゾウといわれるものは、ゼンテイカと呼ばれるニッコウキスゲの仲間と考えられます。この種の花は昼咲きです。北海道原生花園の二種はエゾキスゲ、こちらは夜昼咲き。以上が大よその自生種ですが、もともと日本の自生種から改良された外国種も、日本風土にはよく合いどこでもよく育っています。こちらはデーリリー。色もカラフル、花も大型、季節も春から秋まで楽しい花です。若葉は食用にもなります。中国ではこの花を見て憂いを忘れるという故事がありワスレグサの名もそこからきたのでしょう。野萱草、薮萱草と書きますが、中国では忘れるのに萱の字をあてるのでこの字が使われています。
第十四号 1982/7〕

6月の花 アヤメ・カキツバタ・ハナショウブの見分け方

アヤメ・カキツバタ・ハナショウブの見分け方
これら三つの花々はよく皆さんに親しまれていますが、これらの区別がよく」知られていないようです。
この仲間は、池や水田のような水のある所でないと育たないと思われていますが、必ずしもそうばかりでなく、むしろ「アヤメ」は表のように、水湿地に植えてはならない。菖蒲も夏期の強い乾燥はいけないが、普通の土地で充分育ちます。カキツバタは水がないと良い花は得られません。カキツバタとアヤメは、時期を同じに咲きます。アヤメはまちの中でもよく見かけますし、丘陵地の庭などでも見かけます。四月下旬から五月中旬位の間、前述の場所で咲いているのは殆んどといっていい位アヤメでしょう。
市内でカキツバタが植えてある所はほんの数ヶ所の水のある所だけです。又、カキツバタには四季咲と一期咲とがあって、初春、春、初夏、夏、秋、晩秋とそれぞれ風情の違った姿が眺められます。若しこの時期にアヤメとカキツバタを同時に手になさったら、葉の色が黄色で、巾が広い方が「カキツバタ」、葉の巾狭く、緑が濃くて、花が小さいほうがアヤメです。菖蒲は五月下旬から六月にかけて、白、紫、覆輪、ピンク、紅ボカシ、青紫と何百種類かの品種と色取りで鉢植えなどにもつくられています。草丈もアヤメより余程高く、花はアヤメ科の中では最も大輪でもっとも美しいです。この時期はアヤメ、カキツバタ、共に花期は終わっていますので混同することはないと思います。
 

第13号 1982年6月

5月の花 カーネーション

カーネーション(五月第二日曜日母の日)

欧州南部の原産。わが国へは、正保、寛文年間(一六四四年~、六七二年)オランダ人の手によって渡来したと伝えられる。オランダなでしこの名もその故の名でしょう。しかしその頃の品種は露地生一季咲のものだったようです。その名は、カルネウス(carneus)肉色の、肉紅色の、の意味でその花の色から名づけられたようです。
現在市販されているカーネーションは、このオランダなでしこの改良種で、四季咲き種で明治四十年(一九〇七年)頃輸入されたといわれますが、

大正十三年(一九二四年)になって、米国で本格的にカーネーションの栽培技術を習得した人によって、温室栽培がはじめられ、(東京都田園調布)今日に至つております。
清水市でも、承元寺の方々がカーネiションを作っております。これは量は少ないですが、(年間四十万本位)品質では日本一といえるでしょう。その品種は全体では数百種にのぼりますが、営利品
種として栽培されているものは数十種。毎年五月の第二日曜日の「母の日」にカーネーンヨンをお母さんに贈ったり、胸につけたりして母の愛を偲ぶ行事が広く行われています。「母の日」は、一九一四年五月九日のアメリカ国会で、五月の第二日曜日を「母の日」と定めた。この日は国旗をかかげ、どの家庭でも母の労をねぎらう催しを行つったようです。
アメリカ東海岸のメソジスト教会の日曜学校の先生、ジャーヴイス夫人は母の偉大さについて語り、「みなさんの中でこの偉大さに心から感謝を表わす方法を考えて下さる事を望みます。」その席に娘のアンナがいて母のこの話に感銘した。その後ジャーヴイス夫人は亡くなり、教会で追悼会が催された
時に、母がもっとも好きだった白色のカーネーシヨンを、会場にかざり、来会者の胸にもかざり、深い愛慕の情を捧げました。後フィラデルフィアのデパート店主のジヨン・ワナメーカーさんは、これを支援して、五月の第二日曜日にデパートの店頭で記念会を開きました。母のある子は、赤色のカーネーションを胸にかざり、母に赤色のカーネーシヨンを贈り、母のない子
は白色のものを使い、母の墓前にもかぎり、母を偲び、追悼するようになりました。今日では世界各国で盛大な行事として行われるようになりました。母の日にはお母さんのお好きな花を贈りましょう。

1982年5月

4月の花 アメリカはなみずき

ポトマック河畔の桜は余程、米国の人々の御気に召したようで(先月号)
3年後大正4年にアメリカ農務省のスイングル博士が、わざわざ日本に来て桜の御礼として、はなみずきの苗を持参し、自身が指図して、植える適当な場所を選定したりして下さったようです。この時の何本かが興津農事試験場へ植えられ、今でも四月下旬から五月上旬には美しい花を誇っています。
北米原産でマサチューセッツ、フロリダ、オンタリオ、テキサスにいたる広域に自生しているようです。 落葉生小高木で、1メートルから7メートル位になり葉の開かない前に鮮やかな白色の花を見せてくれ、非常に成長の良い木で実生二年目で1メートル位になります。園芸品種は、チェロキーチーフ、クラウドナイン、レインボー等多くあります。
アメリカはなみずきは、いけ花にもよく使われますが、枝が水平に伸びるので一寸いけずらい向きもありますが、ばら、百合、きく、らん等まわりの花と大変和合して、いけ花の取合わせの上では使い易い花材です。いけ花にするには少し大ぶりに生けた方が、みずきの美しさが強調出来るでしよう。初冬には鮮やかな赤い実を付け、花も紅葉も実も緑も楽しめる実用的な庭木といえます。大正四年アメリカはなみずきと一緒に日本に入ってきたものに、カルミヤがありますが、これはアメリカシャクナゲといわれ、いづれも桜の苗の返礼品種です。

4月の花 ポトマック湖畔の桜

ポトマック湖畔の桜は興津から
桜がわが国特有の樹木で、わが国の気候風土に適し旺盛に生育し種類も多く、数百種類以上にもおよぶといわれる。山桜、彼岸桜、寒桜、染井吉野、八重桜、枝垂桜、大島桜等々、日本古来の樹木だけに、桜にまつわる物語はかぞえきれない程あるが、アメリカ、ワシントン、ポトマック河畔の桜の苗木が清水市産である事を一寸書きたいと思います。
明治四十年アメリカの陸軍長官タフト(後大統領)夫妻が来日したときタフト夫人が、日本の桜を欲しいというので、時の尾崎東京市長は苗木屋から桜苗木二千本を買い明治四十二年ワシントンに送った。ところがアメリカで植物検査をしたところ、病虫害がついているため全部焼き捨てられてしまった。これを知った東京市長は名誉挽回のためにと、農商務省農事試験場に、今度は病虫害のない苗木の育成方を依頼した。東京西ヶ原農事試験場ではこれを引き受け、同試験場興津園芸部に、その作成を命令し、明治四十三年春、品種の選定は桜の権威三好学博士に相談、其接穂は東京荒川堤より取る事とし、砧木はマザクラの挿し木で出来るが接着後の生育と、病害の点で問題があるという事で、兵庫県から山桜の実生苗を取り寄せて、使うことにした。このとき、東京市からの分はワシントン・ポトマック河畔の公園に植えることと内定しニューヨーク在留日本人会からそのついでに同様の苗の作成依頼があり、ハドソン河畔に植える予定という事で、合計六千本の苗木作りに取りかかった。品種の大部分は、満開が揃って美しい染井吉野とし、他に見本的に、八重桜、黄桜等十種程。明治四十三年十二月二十八日より三日間荒川堤にて接穂切り、翌四十四年二月興津にて、山桜実生苗を接木。これをを病虫害の心配のない地に植えて一年間充分に育成し十二月下旬、掘り取り、コンクリート作りの消毒室を作り青酸薫蒸の後、仮植して、翌年二月横浜植木会社の手に依り発送。熊谷八十三翁の日記より「二月七日に苗木荷造り六千本で八十六梱とし、七日貨車貸切で横浜まで。二月八日朝五時に汽車興津発、十一時横浜着、二月九日六千四十本の苗木五時間で箱十箱に見事美事に詰まる・・・苗は十本づつ束ねて、それを六~七束づつ一列にして・・水苔を根に固く当てる。」この荷物が三月下旬、ワシントンに到着、農務省の宙専門家が綿密な検査を受けたところ害虫も病害もついていなかつたと報告され、ポトマック河畔に植えられた。この時集め育成されて、残った苗太は興津試験場に植えられたが、戦時伐採されてしまって、今は只一本だけ残っている。明治、大正、昭和を生きて来た桜だけに「銘木」の風格。種類は「ウスヒカンザクラ」。一月頃から、咲いています。

3月の花 モモ

花ことば花=私はあなたの掌中にあります
実=あなたの愛嬌は偽りです
もえる実(燃実)また、よく実がなる事からもも実(百実)の意味であるといわれる。ももが中国黄河上流の高原地帯の原産であり、かなり古い時代に日本ヘ渡来したことは疑う余地のない事とされています。ももは中国では霊木、仙木、仙果とみる思想があり、子供が生まれると桃の矢を放つて、子供を盗みにくる悪魔を払うという風習があるそうです。古書に、「桃なるものは西方の木、五木の精なる仙木、よく邪気を圧伏し百鬼を制す・・・」とあります。このももの霊力を寓話化したものと解釈されるのが桃太郎の鬼退治の成立だと思われています。室町時代の口承文芸です。
三月三日。昔は「上巳(じようし)の節句」として、子供の無病息災と多幸を祈ってのお祭りでした。したがって特別に日は、きめてなかったといわれますが、後、土御門天皇(一四六五年~一五〇O年)の代に上巳の節句を「雛祭り」と決められたといわれます。それが江戸時代になり、五節句のひとつとされ重要な儀式となり、その風習は今日まで続いていますが、三月三日の雛祭りには、ももの花は、なくてはならない花です。「上巳の節句」と霊木思想の結合、素晴しい発想だとは思いませんか。ももは、鑑賞用の花ももと、食用の実ももと、夫々多くの品種が改良されましたが、食用のももの花は一重咲。花ももは八重咲、と大別出来ます。雛祭りに使われる切り花用のものは、矢口といわれる品種が主です。その他花ももには、「菷もも」「キクもも」「枝垂れもも」「白花種」一枝に紅白の花をつける「源平」等、数十種数えられます。印度北部、シッキム州の州都、ガンドクでは花ももの群落地を見ましたが、古くに中国から渡ったものでしょう。学名「ペルシカ」は、シルクロードを経てペルシャから地中海沿岸ヘ入ったので、ペルシャ原産と思われたためだといわれます。             ‐
(第二十三号 一九八三年三月)

3月の花 サクラ

花ことば 純潔‐淡泊・精神的な美
バラ目バラ科サクラ属サクラ亜属又は(サクラ節)に含まれる植物群の総称で、サクラという特定の
植物は存在しません。しかし一般的にはサクラといえば、古くはヤマザクラ、明治以降ではソメイヨシノをさす事が多いようです。


サクラ亜属はヤマザクラ群、ミヤマザクラ群、マメザクラ群、チョウジサクラ群、エドヒガン群、カンヒザクラ群の六つに大別され、さらにこれらを母体とした変種、交配種を群の中に、系列を作り分類、園芸品種を数えると三百余種になります。清水市近辺で私たちの目に付くのは、葉が出ないで花が先に咲くソメイヨシノ。赤い葉と花が同時に楽しめるヤマザクラ。青い葉と白い大型の花のオオシマザクラ。二月頃に咲くヒカンザクラ。八重咲きのヤエザクラ。さて万葉集(七五九年)でわずか三十数首しか詠まれなかったサクラが、新古今集(一一〇五年)では百余首を数えるようになりましたが、この間の我々祖先の心にどのような、植物に対する美意識の変革があったのでしょうか。花が散り急ぐさまを惜しんで詠嘆する、日本文学特有の考え方は、平安時代(七九四年-一一八五年)からで、京都御所前庭の左近のウメがサクラに変わったのもこの頃(九六三年)だといわれます。室町、戦国時代には、数々の園芸品種が作出され、サクラ文化は江戸期に入り、全盛を誇ったようです。幕末、江戸染井村の植木屋から新種のソメイヨシノが発表されてからは、接木によって容易に増やせる事と、花も大きく美しく、生育も非常に良く、花付きも良いので、急速に東京を中心に広まり、今ではサクラといえばソメイヨシノをさすまでになりました。
明治時代以後、太平洋戦争にいたる頃「散華」思想のシンボルとされ「いさぎよく散る」というサクラ観がありましたが、これは、何もサクラが悪いわけではなく、むしろサクラは春四月平和なのです。 原産地は朝鮮、中国、台湾、ヒマラヤ地方。特に美しいのは日本。
第24号 1983年4月

2月の花 梅

梅は昔ムメと発音されていたようです。漢字の「ムイ」または「メイ」の転訛だといわれます。
花ことば 高潔清節・潔白
古くから中国や我が国で愛されてきたので、古名、別名、漢名も多い。
においぐさ(匂草)、かざみ草(香散見草)、はつなぐさ(初名草)、かざまち草(風待草)、つげ草(告草)、はるつげ草(春告草)、みどりのはは(緑の花)などがあり、漢名では君子香、羅浮山、玉奴、香雪、白玉條、未開紅など。また、うめにあてるのに鳥実、鳥梅、宇米など、野梅系、紅梅系、豊後系、杏系、とに大別しますが野梅系はもともと中国から伝来した当時の種子から生え、発達したものだと考えられています。
自生ではなく野生です。野梅系は白花が殆どです。紅梅は紅花、白梅は白花、これは勿論ですが、枝を折ってみて、木部の内側が紅色のものは花の色や形に関係なく紅梅系だといわれています。奈良時代には「うめ」は桜よりも、愛好されていたようで、万葉集には百余首載せられているのに、桜は三十八首と少ないのは、当時の梅と桜の愛好度がわかります。
桓武天皇(七八一年)が都を京都に移し、御所の庭に「右近の橘、左近の梅」を植えられた。その後、村上天皇時代に御所が焼失したため応和三年(九六三年)改めて梅を植えられた。この時、役人に命じで洛中洛門に梅の銘木を探させたところ、紅梅の良樹を見つけて栽植した。天皇が御覧になったところ、その紅梅の一枝に一片の短冊が下げられていました。その短冊には、「勅なればいともかしこし鷲の宿はととはばいかに答ヘむ」とありました。これを御覧にになった天皇は、梅を元の所有者に、御返しになり、桜を変わりに植えられました。「右近の橘、左近の桜」はこれから始まったといわれます。この紅葉が有名な驚宿梅だとの事です。紅梅が日本に渡来したのはこの頃でこの紅梅の持主は紀貫之だったといわれます。
静岡県でも梅の名所は多くあり、熱海の梅園は有名です。梅は美術品の題材に取り上げられていますが、なかでも光琳屏風画(一六五八年~一七一六年)は殊に有名。(熱海MOA美術館蔵)
(第ニ十二号 一九八二年二月)

1月の花 さくらそう

さくら草の名は、花が桜によく似ていることからきています。我が国はもとより広く北半球、
各国の山野に自生してそての品種は大変多い。わが国原産のさくら草は単に「さくら草」といい外国産は「西洋さくら草」と呼んではつきり区別されています。さくら草は北海道南部、本州、四国、九州の河川沿岸の流域、山間の低温地に自生する多年草です。東京の北東側を流れる荒川の原野には、かって上流から流れついて繁殖したといわれる自生地があり、江戸時代の中頃からいろいろと品種改良されて、さまざまな花変わりを選び出し、日本の代表的園芸草花に育てあげてきました。花形、咲き方、花色、葉形の変化に富み、一時は五百数十種類にもなった事がありましたが、その後有為轉変を経て、現在で三百余種が栽培されています。鉢植えをされた市販品は温室育ちなので一月頃から、咲いていますが、自然では三月初めに芽を出し、四月中旬から五月にかけて花盛りとなります。
野生種は淡紅色ですが、園芸品種に、白桃紅紫絞りの色変わりや、弁先がこまかく切れたもの、さくら草なのに梅花状のものなど愛好家たちによって育
てられています。
花後は六月ごろまで育ち、梅雨明けとともに葉が枯れて根株は翌春まで休眠します。鉢植えのものは花が終わったらつみとり、根元に培養を増やしてやり、夏は半日陰に置き、乾燥しないようにしてやると、翌年よい芽が出る。現在、埼玉県浦和市田島ヶ原のさくら草自生地は、特別天然記念物に指定(昭和二十七年三月)されてぃます。JR浦和駅から車で十五分位、荒川の河川敷の雑草のなかに交じって生えています。全国でも自生地として残っている所はここだけでしよう。
印度ヒマラヤの山すそで出合つたさくら草も日本のさくら草とまったく同じものでした。西洋種にプリムラマラコイデス、プリムラオプコニカ、プリムラポリアニタ、プリムラシネンシス等々。
(第九号)1998年2月

12月の花 東洋蘭のルーツⅡ

ライトもつかないボロジープに揺られてダージリン郊外タイガーヒルへ。ここからの、ヒマラヤの眺望。特に日の出に輝くカンチェンジュガの山の美しさは、「大上自然が織り成す、荘厳なドラマ」という事で、未明にホテルを出発した。カンチェンジュガとは、「五つの峰から成る神々の座」という意味で、この山は、世界第三の高峰である。朝焼けの荘厳なドラマも終わり、明るくなった山路で出会う植物は、日本各地に共通するものが多く、各南天、みつまた、石楠花、松、竹、杉、桧、こぶし、青木、草花では、桜草、紫蘭、岩かがみ、玉しだ等々。これらの他にも蘭がいっぱい。カンチェンジユンガ山は、ネパールとシッキム州にまたがった山です。この周辺至る所、このような植物が続きます。ダージリンからチスタ河に沿って上がると、シッキム州です。ベマヤンヂという村は、びっくりするほど日本人にそっくりの人達です。(日本人のルーツといわれるレブチャー族)この村(海抜二0OOメートル、気温0度~十五度)の家の周りに、インシグネ、エバンウーム、春蘭などが自生したり着生したり、ここもゲージリンと同じ蘭の群生。三十種、いやまだまだあるでしょう。
シンビジュームといわれるものが、東洋蘭の代表です。このような高冷地に自生する原種を中心に
改良されたものが殆どなので、低温に強いものが多く、十一月~四月が開花期ですが、これ以外に欲しい時には、日本と季節が逆なオーストラリアから輸入しています。切り花にしても長持ちしますし、暖房した室内にも強く、正月のいけ花の、松竹梅等との取り合わせにもマッチします。最近はたくさ
ん作られるので、低価格でお求めいただけると思います。

12月の花 シクラメン

真綿色のシクラメンとかがり火のように赤いシクラメン

花ことば 内気・はにかみ 恋心
この仲間には約十四種の野性種があるといわれ、地中海沿岸地域(ギリシャ・シリア)に広く分布し、
低い山地の岩場や雑木林がふるさとです。
語源はギリシヤ語のシクロスから出たもので、円盤の意、花後、花茎が螺旋形に巻いて輪形になることからで、和名のかかりび花は牧野富太郎先生(植物学者、故人)がつけられた名前ですが、先生が新宿御苑に兼務されている頃、見学の婦人がこの花を見て「かがりびみたい」といったのを耳にして名付けたといわれます。内気、はにかみ、恋心の花ことばがあり、花が下を向いて咲く為だとか。

贈り物等に使われる鉢花の代表種で、年間一千万鉢以上の生産があります。花形、花名、形態はわが国だけでも二十種以上もあります。


渡来は明治二十五年頃で一般に栽培、販売されるようになったのは、明治二十七年~三十八年以後のようです。管理方法は、ガラス越しの陽当たりの良い窓辺に置き、ストーブなどで暖房してある室内をさけ、昼夜の温度差が極端に違わないようにして下さい。水やりは鉢土の表面が乾いたら、たっぷり与えて下さい。一時に花を沢山咲かせ過ぎると株がつかれるので、先に咲いた花から早く抜きとり、抜きとつた花は変形花器やグラスないし小品花の素材として使うと楽しい、いけ花になります。
花期は十二月~四月頃で、夏の高温多湿に弱いのでこの時期は、涼しい風通しのよい所であまり水を与えず、九月上旬に新しい用土に鉢を一回り大きくして植えかえてやると二年目にはより大株になります。繁殖は実生により、球茎は自然に分球する事はありません。

かがりび花 ぶたのまんじゅう
さくらそう科

11月の花 東洋ランのルーツⅠ

近年切り花の輸入が大変盛んになつて、バラはアメリカやオランダ、菊、グラジオラスカスミソウ等は台湾、カーネーションは中東からとその輸入量は年々増加の一途を辿っています。(注1)かって、らん輸入についてシンガポールへ出向いた事があり、そこで灼熱の太陽の中で栽培されている、色のどぎつい、如何にも南国的ならんを見せられ、落胆してしまいました
日本のらんのような(ソフトカラー)がなかつたからです。シンガポールのらん園のマスターは、私達が望むようならんが欲しいならば「インド北部へ行つてみたら。東洋らんのルーツを辿ればシッキムへ行つてしまいますよ。」といわれました。
帰国後、色々と調べて見ると、成程シッキムこそ自生らんの宝庫だと知り、今年の二月滅多に入国出来ないといわれている、インド二十二番目の州、シッキムを目指して出発しました。
シッキムヘはカルカッタからバグトグラまで雄大なガンジス河を眼下に、空路北へ五十五分、バグトグラからダージリンまではタクシーで四時間、日本から気の遠くなるような旅を続けてきてやっとここまで。シッキムヘはまだまだ先の事。「ダージリンは雲の中の町である、手を伸ばすとそこに雲がある。この町はヒマラヤの中腹、標高1800メートルから2400メートルの間にひろがる」 と週刊朝日十月十九日号九十五頁(日本民族のルーツを求めて)に紹介されている。このダージリンを手始めに、自生らんの研究旅行がはじまるわけです。かってイギリスのヒラリー卿と共に、エベレスト登頂に成功し
たテンジン・ノルケ氏の案内で、以前彼が校長であつたヒマラヤ登山学校の見学にいったところ、その校庭の木といわず岩肌といわず、らん、ラン、蘭。らんの自生地、らんの原産地、らんの宝庫、私共-行の目はランランと輝き日本からの長旅、これからもっと奥地への冒険の旅も忘れて、只ひたすら感激にひたっていました。この自生らんこそ素晴しい日本の園芸品種として、美化を提供してくれる原点なのです。
(注1)上記の輸入に関するデータは1981年当時のものです。現在ではカーネーションはコロンビア、バラはエチオピア、ケニアなどから輸入されるようになり当時とは分布が大きく変わっている。

1981年11月

10月の花 曼荼羅華 

曼陀羅華~仏が出現したり説法したりする際に、天から降りてきて見る人の心に喜びを感じさせるという美しい花~大辞林 第二版より
きちがいなすび、朝鮮朝顔、ダッラ、なす科の植物。活け花材料に使われるイガ茄子。中南米、インド、中東、原産の一年草。天使のラッパといわれる仲間はアメリカチョウセンアサガオの仲間で多年草です。一年草のダッラにはアルカロイドを含んでいて名だたる有毒植物です。別名をキチガイナスビといいその毒が多いと精神錯乱さへ起こすことがあります。世界最初の全身麻酔による乳がん手術に成功した紀州の華岡青洲が自ら人体実験に身を捧げた妻の協力で、手術のための麻酔薬を完成させた話はよく知られています。この主原料になったのが「曼陀羅華」なのです。この植物の渡来は天和~貞享(1681~1687)の頃だったといわれています。勿論、薬用植物として輸入されたのだと思います。今では郊外のちょっと造成された草地などによく見かけますし、活け花用としても全国各地で栽培され、ヤエチョウセン朝顔や天使のラッパ等は、園芸用で庭などによく見かけます。天使のラッパは木の高さほどに大きくなりすぎる難はありますが、百合の花のような花が咲き見上げると壮観です。耐寒性はやや強いほうで当地清水区市街地などでは越冬します。話は変わりますがインドのデリーから空路2時間南へ行きますとカジュラホの寺院があります。寺院群は東、西のグループに分かれていますが西軍がもっとも大きくヒンズー教建築様式を一番よく残したカジュラホ最大(高さ31メートル)のカンダリヤ・マハデバ寺院があります。建物の周囲には、872体の石造が掘られ、中でも男女交歓のシトウナ像はそのものずばりを表現しながらもとても健康的です。9~13世紀にチャン寺王朝の首都として栄えたところですが、今はその面影もなく寺院郡の周りにはそまつな農家が点在する野原となっていました。最盛期には八十五の寺院が築かれていたそうですが、今は二十二。そのカンダリヤ・マハデバ寺院の周りには見事なヤエチョウセン朝顔が咲き誇っていました。成程この花の原産地だったのかとしみじみ感じました。(第5号1981年10月)

9月の花 りんどう 

花ことば 正義・的確 あなたの求めがよろしくあるように
りんどうはアフリカを除く全世界に分布していて、わが国でも北海道から九州までの山野にふつうに自生しています。ハルリンドウ・フデリンドウ・コケリンドウ等この仲間には春咲きのものもあります。
フデリンドウは静岡市清水区でも宍原あたりでは出会うことが出来ます。秋咲きでは、一般的に自生しているのは、ササリンドウ。花屋さんの店頭で見られるのは殆どエゾリンドウ。最近では園芸品種が増えて、白花、赤紫花、白紫花等多様です。
自生品種として日本には十四種ほどあるといわれています。
竜胆は「りゅうたん」ともいわれますが、別名「おこりおとし」(瘧落し)たつのいぐさ(竜の胃草)はいづれも根を噛むと非常ににがいため、竜(たつ)の胆(きも)のようだという、ところから名づけられたといわれます。「おこりおとし」はこの草が薬草に使われていたところからきています。りんどうの根が昔から薬草に使われていた事についで「二荒縁起」に、昔、役小角(えんのおづね)という行者が日光の山奥を歩いていると一匹の兎が雪の中から何か草を掘ってなめていた。不思議な事をする兎だと思いそばに寄って尋ねると、兎は「自分の主人が病気で困っているのでこの草をを探していた」と答えた。小角がこの草をなめてみると、にがく、なる程病気によく効く。これは兎に化身した二荒神のお告げであると思い、この草を長く霊草としていたという。この草がりんどうなのです。そして今ではりんどうの生産は日光高原、福島浅間高原など、この伝説の地の近くで栽培されています。もう一つのの別名エヤミグサ。
第四十四号 1984年9月

9月の花 コスモス

コスモス キキョウ目・きく科・コスモス属
花'ことば 調和。美麗 白花=純潔分類 赤花=愛情
赤、白桃と咲きみだれるコスモスは、日本の秋を代表する草花といえるでしよう。本来この花は、日
が短くなって、はじめて花芽ができて咲く、短日植物の代表的なものです。が最近の品種は日長に関
係なく咲くものが多く、生育温度が得られれば、いつ蒔いても九十日あまりで開花しますので春先頃から花屋の店先に顔を見せます。          
性質はとても丈夫で一度作ると、毎年こぼれ種子で生えて群生、開花するほどです。市内でも、とてもよく目につきます。日本の気候によく合い、日本古来の花のように思われますが、原産地は、メキシコです。コロンブスのアメリカ大陸発見後ヨーロッパヘ渡り、わが国へは明治十二年(一八七九年)頃
渡来したといわれます。花形に大輪花のもの、一重咲、八重咲、アネモネ咲等あります。
わが国で改良作出された、コスモスに「サンセット」という品種がありますが(濃紅色)大変美しい花で、この種は欧米に輸出されていました。黄花コスモス(黄色・橙黄色)は、本種とは別種です。(原産地は同じ)和名の秋桜は、サクラの花に似た、清楚な花型と可憐な様子を春の「サクラ」に対した名。オオハルシャギク(大波斯菊)は、波斯(ペルシャ)の当て字。しかしこの和名で呼ばれる事は少なく、世界に通じるコスモスの名で、親しまれています。属名のコスモスはギルシャ語のKosmos(飾り、美麗、調和、秩序)によりますが、いづれも、花の美しいところから、付けられたものでしょう。

8月 ハイビスカス

中国南部原産の常緑性潅木で高さ1~2Mになる。園芸品種としておなじみの鉢植物です。花はその年、伸長した若枝の葉脇につき花径5~10CM,花弁は5枚、花の中央から雌雄芯が1本長く花のそとに突出しています。「レイ」でおなじみのハイビスカスはハワイの州花です。1923年に制定されたころから品種改良も盛んになり、今では数百種。代表的な種類には、レッドスター(赤、在来種)比較的に寒さにも強い。バルカン・クインスター(赤、ハワイ系)寒さに弱い。ゴールデンベル(黄色)、ムーンライト(外黄、中白)、オレンジビューティー(オレンジ)、タウンゼント(外黄、中赤)、銀河(外オレンジ、中黒)等があります。このハイビスカスの仲間には、生垣などに植えられている「むくげ・ふよう・たちあおい・ぜにあおい・きあおい・べにあおい」や食用にするオクラもこの種類です。市販されている鉢植えは矮化剤をつかって草丈が伸びないように処理していますが、余分な枝を切り取って挿し木しますと容易に活着するようです。挿し木した苗はそのままだと矮化剤が残っていてよく伸びないこともあります。生長しても開花しない場合は日光、肥料、水の3要素がかけていることが多いから注意してください。ところでインドに旅をした先々でこの花と出会いました。古くから栄か栄枯盛衰を繰り広げた第三の都、首都でもあるデリー、そこから14KMのところにあるオールドデリーの一画に高さ73Mの5層石造りの塔「クトウブ・ミナール」があります。その遺跡のあちらこちらに、赤く裂くハイビスカスの花。朝開暮落、開花しても結実しない、一日花であるという悲劇的植物のような暗いイメージを栄枯盛衰の歴史の只中立っていると、ひしひしと感じるのです。夕暮れ涼風の中で美しい花が一輪、しぼんでゆきました。 インドのハイビスカスがハワイへ渡り花が大きく、花色もカラフルに、現代の花、未来の花へと、進化して来ました。ハワイのハイビスカスは祝福の花です。しかし、この花の持つ雰囲気は、いかにも東洋的だと思いませんか。真夏日の日本の建物にもとても似合う花だと思います。

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